私は昭和19年3月(1944年)尼崎市で生まれました、戦争中で一時疎開し昭和24年に尼崎市に戻り、
幼稚園の遠足で宝塚ファミリーランドに来たのが、私と宝塚との縁の始まりでその時の園児保護
者の集合写真は今でも保管しています。
その後小学生の頃、母親と歌劇を観に来た記憶が有り、スターは寿美花代さんでした。中学生以後
は小学校時代の恩師から宝塚小浜に引起した報に、 たびたび訪問致しました、社会人に成って
からは宝塚温泉街の旅館を使用する事が多く、夏の花火大会にも訪れましたし、両親と共に兄弟で
ファミリーランドた来園し大きな温泉に入った記憶がり、宝塚の町に馴染んていました。
兄が美座の家を友人から数年後に向いに転居したので空家を私が借受、数年後の昭和52年11月に
結婚を期に待望の宝塚の住民に成りました。
子供が3人誕生し、年数回ファミリーランドに行き子供達と童話の世界を楽しんでいました。
帰えり道は花の道を通ると、妻が武庫川沿いのマンションを見て将来はこの川治のマンション
に住み、川面と甲山を見ながらの生活を夢見ている様でした。
平成7年1月17日早朝の阪神大震災が起きその縁で武庫川沿いのマンションに住み新しい生活
の始まりです(大震災の状況は又の換会に報告いたします)
直ぐさま管理組合として自治会に加入その後理事に取り立て頂きました。地域の街づくりから
住民どうしの対話の場所作り等に自治会役員さんも精一ぱい努力され、秋祭を始めとして様々な
イベントを行って来ました。
私も防災関連で、もし南海地震が発震した場合、”犠牲者を出さない”を目標に、特に直後の各戸の
安否確認救助を確実に出来るよう共助のルール作りを各マンションの担当者と協力して行って
いく所存です。
私自身も武庫川町の環境が大好きでこれからも住続けたい街で大切にしていきたいです。
ありがとうございました。
会計・防災担当 中庭祐蔵
憧れのファミリーランド周辺
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